
本来4月2日に発表になる予定であった最終選考結果がいまだに発表になりません。
それどころか、オークランド市のサイトでは「4月2日に上位3組を発表、4月末日までに最終決定」とか、「4月中に何組かを選定し、4月末日までに最終決定」とか今後のスケジュールが二転三転しています。
2月末の提出以降、オフィシャルには何も発表になっていませんし、どちらかというとスケジュールに変更がある度に決定が先延ばしになっているような印象を受けます。 風の噂で聞いた話では、予算がネックになっているとかいないとか。 各チームの提出した見積と市が行った積算の結果に大きな開きがあったので、リスクをおそれて市としては一つの案に絞り込むことが出来なくなったというのです。 これもどこまで当たっている話なのか分からないわけですが。
しかしながらこの規模のコンペで、最終提出後に選考プロセスに変更があるというのはとても珍しいのではないかと思います。 失敗は出来ないというオークランド市の意気込みを感じるという言い方も出来ますが、プロフェッショナルじゃない、という厳しい見方も出来ます。
「4月の末日まで」という日時の点では市の発表は一貫しているようなので、4月の末日までには何かが発表になるものと思われます。 それが何であれ。
二月末の提出から1週間も経つと、コンペのことをほとんど考えなくなりました。
写真は、1月にニュージーランドへ行った際にピート・ボスリー事務所で、ピートとその右腕のマークの三人で撮りました。 コンペの方向性に大きな筋道がついて、プレゼンテーションの方法もある程度決定してあとはそれぞれの国で分担作業、となったところで一息ついて提出案の前で撮った唯一の記念写真です。
2008/04/14
コンペ020 モラトリアム
2008/03/03
コンペ019 アイデアの出所2

今回のコンペは海の上の動く道路のデザイン・コンペだ、ということをまず理解しました。
次に現在の技術で可動橋はどのように動くのかを調べて、主に10種類近い方法があることを確認。 その中で今回の敷地や条件に当てはまる可能性のあるものは2つ、3つ。 後は新しい方法を考えるか。
100メートルの橋を動かす新しい方法なんてそう簡単にあるわけはありませんが、それをやってのけたのが今回のコンペの競争相手でもあるウィルキンソン・エアのゲイツヘッド・ミレニアム橋(1997年)です。 何度も書きましたがこの橋を見たから僕はこのコンペに参加したのであって、今こうして自分がウィルキンソン・エアの競争相手となっているのはとても信じがたいことです。
さて橋に戻って、道路がどう動くのか考え始めます。 動くと言っても橋は1本ですから、片側からあげるか真ん中からあけるか両側からあげるかですが、海上に船のための幅40メートルの道をあけるために必要な橋の長さは約65メートルです。真ん中で二つに分けるにはどうにも無理があるし、片側からあげれば壮観ですが、予算の問題もあるので構造的に無理をさせて壮観を作り出すつもりはありません。ここは単純に両側からあげるとします。
しかし橋が真ん中で分かれて両端を軸として上がる、では当たり前すぎておもしろくも何ともないです。おもしろくするために何かをしようにも、前提条件が旧来通りなのでそれを覆い隠して新しく見せるための形の遊びにおちいってしまうのが見え見えで、それは一番やりたくありません。 前提条件からおもしろくなるまで理屈を突き進めなければ。
振り返って道路をよくよく見ますと4車線有ります。歩道3.5メートル、車道4メートル、反対車線もう一本、最後にもう一度歩道3.5メートル。 予算的に足し算の建築はできないならばここは割り算をしよう。 道路を車線ごとに4つに分けて左右で8本の橋にして、順番に上げたらこれは壮観。 橋が1本上がってきても誰も驚きませんが8本続けて上がってきたらこれは事件です。 前提条件に何も加えていないのに、だいぶ面白そうになってきました。
これは赤ちゃんの喃語(なんご)と同じです。赤ちゃんが「だー」と言ってもそれは泣いているのと何も変わりませんが、「だーだー」となると言語の可能性が出てきます。だめ押しに「だーだーだー」だとすごいですから、「だー」が8回続いた日には天才かもしれません。
しかしここまで考えて、このアイデアは駄目だ、と思い至ります。(つづく)
2008/01/15
コンペ018 アイデアの出所1
ニュージーランド3日目です。
オークランド空港へはピート・ボスリーが迎えに来てくれていましたが、聞いていなかったので危うく素通りしてタクシーに乗ってしまうところでした。
今日と明日は今回の出張の目的でもあった重要なミーティングです。昨夜は準備のため徹夜でした。前回と違い今回はボスリー事務所のすぐ近くに宿を取っているので、朝、事務所へ歩いていってそこから車でミーティング先まで連れて行ってもらいます。写真は宿の窓から撮った風景です。オークランドの青山通りともいえるポーソンビーから200メートル入ったほどの近さですが、青山と言うより僕の事務所がある小平に近い風情ですね。ニュージーランドの何たるかを示して余りあります。
ミーティングの規模は前回よりさらに大きくなり、10人以上。こうなると密なコミュニケーションが難しくなるので、進行のトニーがチームを二つに分けたりして、小さなミーティングを数回行う形になるよう配慮していました。
今日初対面のメンバーに、オーストラリアの橋梁専門のエンジニア、ジョンが居ます。
ランチの時に彼と話をしていて、デザインコンペに出した僕の橋のアイデアはどこから出てきたのかを聞かれました。その時の回答が予想外に受けたのでここに書きます。
今回の、橋を車線ごとに4本に分けて(左右一組で合計8本)立ち上げると言うアイデアは、アイデアと言うより結論と言ってもよいほど、完全に理詰めでした。
コンペは要項を読むことから始まります。主催者が何を欲しているのかをひたすら汲み取る作業です。
まず、これまでにそれほど建物にお金を使ってこなかったニュージーランドの公共事業ですから、予算はきついとまでは言わないまでも、国際コンペを行うほどの事業にしてはふんだんとは言えない金額でした。
予算の根拠を見てみましたが、どうも同規模の普通の橋を参考にしている。当たり前と言えば当たり前ですが、オークランド市は「インターナショナル・レベルの、オークランドのシンボルとなりうる橋」を建てたいと言っていたのに、予算はインターナショナル・レベルでもシンボリックでもないようです。
とにかくこれは、余計なことをするお金は全くないことを意味します。シンボルとなると言うことはどこにでもある普通の見た目の橋では駄目だということですが、橋に何かを加える余裕はありません。
物が増えない以上、最低限必要なものだけを組み立てなおして橋を作り、その組み立て方がこれまでの橋と大きく違う、と言う方法をとらざるを得ないと僕は理解しました。最低限の可動橋とはつまり言い換えれば、動く道路です。(続く)
2008/01/08
コンペ017 ニュージーランド再び
1月12日から約1週間、再度ニュージーランド入りが決まりました。
今回はチームのメンバーの顔も見えますし、オークランドの様子も分かるので前回に比べてだいぶ気が楽です。
ニュージーランドではクリスマスから新年にかけては夏休みも重なって最大のホリデイです。 その間もピート達とメールでスケッチや3Dモデルなどのやり取りはしており、12月にニュージーランドを出たときと比べれば格段に案も詰まってきています。
ブログでコンペの進行を報告したらおもしろいのではと思って書き始めましたが、実際には守秘義務があるので起きていることの半分もここに書くことができないことに後から気がつきました。 設計している内容については全く触れることができませんし、かなり中途半端な報告になっているような気がします。 コンペが終わったら事後報告、と言うことに多分なるのでしょう。
2007/12/23
コンペ016 年明けの予定

日本へ戻って早くも1週間が経ちました。
僕はひたすら案の詰めを行っています。 多分、年末年始もこれに大きく時間をとられるでしょうが設計はとても楽しい時間です。 願わくば助手の二人もいてくれれば大変ありがたいのですが、相変わらず一人ですべての作業を行っていますし、それが良い結果を生むような設計手法を組み立ててしまっています。
年明けに又、ニュージーランドへ来てくれと言うメールが今日来ました。
僕自身も行かなきゃならないかな、と言う気がしてはいたのですが具体的には予定を入れてはいませんでした。 でもこうして誰かが文章にしてしまうと途端にそれが現実味を帯びてきて、もうその打ち合わせに向けて自分自身で宿題を設定してしまったりしています。
恐らくというかほとんど、1月に再度ニュージーランドへ行くことになるのでしょう。
2007/12/18
メルボルン05 建築家のオフィスを訪ねる

建築家が海外旅行をすると何をするか。
建物を見ることと現地の設計事務所のオフィスを訪ねる。これに尽きます。
というわけでまず、ケヴィンの友人でもある前述のシックス・ディグリーズへ行きます。メルボルンの文化の中心でもあるフェデレイション・スクエアの横で、川に面した形で広場の下に潜り込むようにしてシックス・ディグリーズのオフィスはあります。
ガード下を想像してもらうと近い感じですが、上は広場だし横は川沿いのカフェだし、構造はレンガのアーチなので随分おしゃれです。でもエアコンがありませんでした。構造上、入れるところがないのです。
日本やニューヨークでも設計している事務所ですがとことんカジュアルで、メンバーの半分以上サンダル履き、中には裸足の奴も居ます。リーダーの一人のサイモンに紹介してもらった後、マイケルというメンバーにこれまでの作品の説明を一通りしてもらいました。
続いてニュージーランドのピートに紹介してもらった、今オーストラリアで一番面白いと僕が思っているジョン・ワードルのオフィスへ。ここは65人という大所帯で、さすがに裸足の奴は居ません。デザイン担当のアンディー・ウォンが案内してくれました。彼は若いのですが自分で模型も作り、CADには触らずスケッチで設計を進めるという今では少数派かもしれないタイプの建築家です。僕は事務所設立時にできるだけCADで設計を進めると決めてやってきたのですが、10年近くやってきて自然に手仕事の比率が上がってきました。だから彼の仕事の進め方はよく理解できたし、勉強にもなりました。
最後はpushpullbarのメンバーでもあるアンドリュー・メイナードのオフィス。クリスマス前の金曜日の夕方に行ったせいかいつもそうなのか、全員仕事せずにTVゲームに興じています。僕はゲームはしないので適当にその辺にある模型を見たり本を読んだり。海外の仕事もこなし始めている事務所ですがここもカジュアルです。
ニュージーランドでもいくつか設計事務所を訪ねた上での感想は、設計事務所のカラーはリーダーのカラーで決まる、良くも悪くも独立国のようなものだということ。この点は日本も同じだと思いますが海外はもっと極端です。
投稿者
橋本 健(ハシモト タケシ)
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ラベル: メルボルン オーストラリア
2007/12/15
メルボルン04 pushpullbar
僕がモデレーターをしている建築家のウェブサイト、pushpulbar.comのメルボルン在住のメンバーに声をかけて、皆で集まって飲もうという事になりました。pushpullbarは世界中に一万人以上の建築家のメンバーが居るので、ほぼどこの国のどの都市へ行っても友達が居るような状況です(聞いたこともない国のメンバーも居ます)。ニュージーランドのオークランドでもブルース・ウォーカーというメンバーに会って、街を案内してもらいました。
メルボルンは大都市だけあって、メンバーも多いのですが… 結局会えたのは前述のニコラスとケヴィン、そして近郊のジーロングからわざわざ電車に乗ってきてくれたトゥファン、大学を出たばかりのガブリエルの四人だけでした。
僕がニュージーランドに居る間に、スウェーデンから日本へ来た二人組が居たのですが、もちろん会えませんでした。でもインターネットを介して「この建物への行き方がわからない」などの質問には随時答えていましたが。
インターネットで面白いのは、相手の国籍も人種も性別も年齢も意識しないでとにかく会話から入るということです。会ってみると20歳のアングロサクソンだったり60歳のハンガリー系オーストラリア人だったりするのですが、すでにインターネット上でかなり話をしているのでそうしたことがまったく気になりません。インターネットへの批判によく「見たことも会ったこともない人間と話ができるのか」とかいうのがありますが、僕にすると見たことも会ったこともないからこそ何の偏見も持たずに話ができるというのが素直なところです。
投稿者
橋本 健(ハシモト タケシ)
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ラベル: メルボルン オーストラリア